東京地方裁判所 昭和42年(モ)5634号 判決 1968年5月31日
債権者 中島正子
右訴訟代理人弁護士 坂晋
債務者 小被照子
右訴訟代理人弁護士 成毛由和
同 伊礼勇吉
主文
東京地方裁判所昭和四二年(ヨ)第一二七号不動産仮処分申請事件につき、同裁判所が昭和四二年三月一六日にした仮処分決定はこれを取消す。
本件仮処分申請を却下する。
訴訟費用は債権者の負担とする。
本判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
(双方の申立)
債権者訴訟代理人は主文第一項掲記の仮処分決定を認可する旨の判決を求め、債務者訴訟代理人は主文第一ないし第三項同旨の判決と仮執行の宣言を求めた。
(債権者の主張)
一、債権者は昭和三四年二月以来別紙物件目録記載店舗を申請外新橋商事株式会社から賃借し、昭和三四年九月九日東京都公安委員会から風俗営業を許可され、同店舗で簡易料理店「ペリ」を経営していたが、昭和三九年始め子供の進学問題から毎夜深更まで営業することが困難となった。しかし当時本件建物を含む新橋西口一帯は都が計画する市街地改造法に基く区画整理が遠からず実施されることが予定されており、もし休業すると右区画整理に伴う営業補償金や代替店舗の割当を受ける権利を取得できなかったり、あるいは新橋商事株式会社から賃貸借契約を解除され、右店舗の返還請求を受けるおそれもあったので、何とか他に経営を委任しても営業を継続しようと決意し、申請外かんべ土地建物株式会社の仲介で昭和三九年三月二日債務者を同店舗の管理人に選任し、つぎのとおり経営の委任契約を結んだ。
(一) 本件店舗における経営の一切を債務者に委任する。
(二) 営業の名義人は債権者とし、商品の仕入販売、水道光熱費の支払その他諸経費は一切債務者においてその責に任ずる。
ただし諸帳簿は債権者から要求のあるときは、いつでも閲覧せしめる。
(三) 使用人は債務者において採用するも、その名簿は債権者に提出する。
(四) 債務者は毎月三万円也の営業収益を保証し、これを債権者に納入する。
(五) 債務者は保証金として金一二〇万円也を債権者に預託する。
(六) 期間は満二ヶ年とするも協議の上更新することができる。
(七) 都市計画法等により立退のときは当然解約とする。
二、よって同日から債務者を管理人として経営を行い、同年六月二日本件店舗の屋号を「おがの」と変更し、その旨都公安委員会の許可を得、それ以来経営を続けて来、この間債権者は右経営に伴う所得税事業税等を負担納入してきた。
三、昭和四一年三月一日、右契約の期間が満了したので、直ちに口頭をもって更新を拒絶し、委任契約を解除したが、債務者はこれに応じないので同年四月二八日到達内容証明郵便をもって右解約の旨を明らかにし、本件店舗への立入を拒絶したが、その後債務者は立入を継続し、債権者直接の営業を拒絶するので、債権者は営業することができない状態である。
四、しかるところ同年八月一〇日市街地改造法に基き、本件店舗を含む新橋西口地帯は、総て立退売収が決し、周辺の店舗は既に立退き取毀しが開始される状況となり、これを予め察知した債務者は自己が占有者として立退料を取得せんと企図し、委任契約の解除を拒むので、このままの状態では債権者は経営が不可能のため甚大なる打撃を受けるばかりでなく、右立退きに際しても、立退料配分に与り得ず、莫大の損害を受けるおそれがある。
よって右委任契約解除による原状回復を求める本訴を提起すべく準備中であるが、債務者の右のような不正の侵害による著しい損害を避けるため、右店舗への立入禁止と債権者の営業妨害禁止の仮処分を申請し、その旨の決定を得たものであるから、同決定の認可を求める。
五、債権者は本件契約を委任契約と主張するが、かりに賃貸借契約としても短期賃貸借契約である。
本件契約当時、債権者の見通しでは、ほぼ二年後、延期されてもそれより余り遠くない将来に区画整理が断行されるものと思われ、その際支給される賃貸借、営業権、造作等各種補償金の総計は、従来の同種事例からみて優に一千万円をこえるであろうこと、さらに代替店舗入居の権利も取得しうるであろうことが期待されていたのであり、これは契約の際債務者の出費した保証金一二〇万円と権利金三〇万円(この権利金は債権者は受領しておらず、造作原状回復のための補償金として仲介者神戸が領収したにとどまる)計一五〇万円と対比すると明らかに権衡を失している。
現に東京都市街地改造事務所につき調査したところ、本件建物につき概算六九二万円の賃借権補償、造作補償等が支給されるほか、営業補償として純所得金額の一二ヶ月分と雇人給料の八〇%二ヶ月分が加算され、もし債務者が賃借人ということになるとさらに立退きの際債権者から金一二〇万円の返済を受けられることになるのであるから、債権者の得た月三万円の賃料と三〇万円の権利金(権利金でないこと前記のとおり)に比し著しく権衡を失している。
さらに債権者が調査した比隣類例の賃貸借契約によると昭和三九年当時権利金が坪当り七〇万円程度、ただし造作を賃借人が行うときは坪当り四〇万円程度であったのであり、これら類例に照しても一時賃貸借契約であることが容易に推測できるものである。
そして右短期賃貸借契約は昭和四一年四月二八日到達の契約解除通知により解除されたものであるから、債務者は直ちに本件店舗から立退きこれを明渡すべき義務がある。
(債務者の答弁)
一、債権者の主張第一項中、その主張のような形式の契約を結んだこと、第二項中屋号を「おがの」と変更したこと、第三項中債権者主張のような内容証明郵便が送達されたこと、第四項中新橋西口地帯の立退買収が決定したことは認めるがその余は争う。
二、(1) 右契約の実質は賃貸借契約であり、かつ一時使用ではない通常の賃貸借契約である。
債務者は昭和三九年三月二日債権者と本件物件につき賃料月額三万円、期間二年間、ただし満了の際は契約の更新をすることができるとの内容で賃貸借契約を結んだのである。その際作成された契約書は店舗経営委任契約書と記載され、記載内容は債権者主張のとおりであるが、これは債権者が家屋所有者たる新橋商事株式会社に対する都合上そのようにしたいというのでそうしたもので、実質は賃貸借契約である。
これを裏づけるため、債権者は昭和三九年三月九日債務者に対し右契約書が便宜上の作成である旨明言した念書を作成しているし、右契約日たる同年三月二日には債務者に対し家賃領収書を交付し、債権者らはこれに押印しているのである。また契約後屋号を「おがの」と変更したことは債権者も自認するが、単なる管理人のために屋号変更することはありえず賃貸借の成立を裏づけるものである。
(2) 債権者は昭和四一年四月二八日到達の内容証明郵便をもって解約を明かにし立入を拒絶したと主張する。しかし債務者は立入を拒絶されたことはなく、その後も平穏公然無事に賃借し営業を続けてきたのであり、従前通り月額三万円の家賃を支払い、債権者は同年四月、五月、六月分の領収書を債務者に交付しているのである。
これにより従前の契約はさらに二年間更新されているのであるからこの点でも債権者の主張は失当である。
三、債務者は右契約成立後本件店舗における飲食店経営に成功し、昭和四一年度は六、六〇一、二〇八円の収入を得ている。そしてこの収入により債務者を含め五人の生活が保障されている。東京都市街地改造事務所は新橋西口地区の市街地改造事業に伴い真実の権利者に対し実態に即した権利補償を行うべく同地区の実態調査を行い、債務者は右収入の調査を受け、また昭和四二年二月一〇日立退後の新造建物に対する賃借希望の申入れをなし同事務所はこれを受理した。
もし原決定が認可されると債務者は年収六〇〇万円以上の収入を失い、従業員を含め五人の生活を維持する見通しが立たなくなり、加えて市街地改造事務所に対する賃借希望の申入れはその基礎を失い、また右収入に対し予定される二年間の補償一、二〇〇万円を失い、その損害は測り知れないものがある。
他方債権者は右契約存続中月額三万円の収入はそのまま維持できるのであって原判決を認可されなくても何の損失もない。
よって本申請は保全の必要性を欠くから、この点からも棄却さるべきである。
(疎明)≪省略≫
理由
別紙物件目録記載の店舗につき昭和三九年三月二日債権者債務者間に債権者主張のような形式の契約が結ばれたことは当事者間に争いがない。
そこでこの契約の性質について検討する。
≪証拠省略≫を総合すると、債務者は銀座のバーでホステスとして一〇年程働き、固定した客層があることから同方面で独立して店を持ちたいと考え、昭和三九年二月、不動産業者の古村英明に店舗賃借の斡旋を依頼し、同人および債務者の義兄矢島富士雄とともに新橋のかんべ土地建物株式会社を訪れ、同社の専務神戸佐四郎により二、三案内されたうちから、かなり痛んでいるけれども権利金三〇万円、敷金一二〇万円、家賃月三万円という賃借条件が予算にあったことから本件店舗を借りることにきめ、昭和三九年三月二日債権者との間で甲第二号証の契約書を作成したこと、右権利金、敷金、家賃は本件店舗が手入れを要するものであり、かつ遠からず市街地改造法による立退きが予定されていることを考慮すると、決して世間相場より安い値段ではなかったこと、右契約の際立退きのことも話に出たが、神戸佐四郎は「これだけのところを三年や四年で出来るものではない、一応期間は二年でも、当然更新はするし、立退くまでは営業が出来るし、立退くことになれば立退料も出ることだから」という趣旨の発言をしていること、契約の際かんべ土地建物株式会社から渡された三万円の領収書は家賃領収之証と記入されていること、同社は本件店舗を含む債権者の店舗一〇軒位の差配をしていること、契約の翌日、契約書が店舗経営委任契約者と表示されていることに疑念を抱いた矢島が古村とともにかんべ土地を訪れ、神戸佐四郎と債権者の夫中島昭彦にあい、賃貸借契約書に書き換えるよう要求すると、同人らは、本件店舗の所有者新橋商事株式会社から転貸を禁じられており、表向き賃貸借とすると契約を解除されるおそれがあるから、形式上は委任契約とするが、実質は賃貸借なのだという説明をし、両名連名で店舗委任契約書は便宜上の作成であり同契約書三条四条にいう使用人の名簿や勘定関係の諸帳簿は債権者に見せる必要はない旨の念書(乙第二号証)を債務者宛差入れていること、債務者は本件店舗を五二万九、五〇〇円かけて改装したうえ営業を開始したこと、以上の事実が認められる。証人中島照彦の証言中右認定に反する部分は措信しない。
以上認定の事実によると当事者の意思も賃貸借契約を結ぶことにあったことは明らかであるが、前記甲第二号証に基き契約自体を客観的に見ても、営業上の収益はすべて債務者に帰属し、仕入、諸税公課、光熱費、水道料、使用人の賃料等諸経費の支払いはすべて債務者が負担する等営業が債務者の計算において行われることが予定されているのであり、これに対し債権者は月々店舗を貸した対価に相当する三万円の定額を収受するにすぎないから、委任とみることは困難であり、賃貸借契約とみるのが相当である。
ところで右賃貸借契約の性質であるが、前記認定のとおり契約の際に市街地改造法による立退きが予定されており、前記契約書第一〇条にも「都市計画法により本物件が立退く場合は本契約は自然に解約するものとする」と記されているので、市街地改造法による本件店舗の収去を終了事由とする一時賃貸借契約と認められる。
つぎに右契約の存続期間は一応二年とされ満了の際は更新出来るとされていることは当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫による本件契約期間満了後である昭和四一年三月二六日、四月二六日、五月二七日の三回にわたりかんべ土地建物株式会社により四月分ないし六月分の賃料が受領されておりこのことから右契約が更新されているものと認められる。(ただし更新後は期間の定めのない賃貸借になったとみるべきであろう)
そして債権者から債務者あてに同年四月二八日到達の内容証明郵便で委任契約を解除する旨の通知がなされたことは当事者間に争いがないけれども、右解除の法的根拠については明らかでなく、かりに民法六一七条の解約の申入れとみるとしても、建物の一時的賃貸借において、契約の当初一定の事由が発生した場合契約が終了する旨約しておりその発生時期が不確定の場合は、それと並んで契約存続期間を定めてあってもそれは一応のものであり、貸主は契約終了事由が発生するまでは更新の拒絶や解約の申入れをしないことを約しているとみるのが相当であるし、もしかりに貸主が一方的にいつでも解約できるものとすると借家法の保護を受けない借主は貸主の同意を得て付加した造作の買取請求権もなく、投下資本の回収もできず、著しく不利な立場に立つことになる一方契約の終了事由が発生するまで借主に貸しておくことを予定している貸主に対し更新拒絶や中途解約の申入れをすることを禁じても何ら不利益を蒙らない筈であるから、当初予定された契約の終了事由が発生するまでは更新の拒絶や解約の申入れは、特にそれが出来る旨の特約の存在ないし貸主の自己使用の必要等正当事由が存在する場合の外は出来ないものと解すべく、そして弁論の全趣旨から本件契約の終了事由は発生していないと認められるところ、債権者は特約や正当事由の存在等につき主張もしていないから右解約の申入れは無効と解するほかない。
よって債権者の主張は理由がないから原決定を取消して債権者の申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、仮執行の宣言につき同法七五六条の二を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 北沢和範)